ニッポン・ローカルショートムービー「すず」

新森常次郎とさきの作業風景

夫はタガネ、妻がカナヅチ

家族写真。一番右がさき、四番目が常次郎

新森常次郎(しんもり つねじろう)さんとその妻さきさんは、高岡市で脚本取材中の菱川勢一が出会った高岡の銅器職人の夫婦です。
病気をわずらい片腕の自由を失ってしまった常次郎さん。彫金の職人にとっては致命的だった。しかし、その状況を妻さきさんが救った。常次郎さんが片腕でタガネを、さきさんが金ヅチでそのタガネをたたく。はじめのうちは常次郎さんの指をたたくこともしばしばあった。

「鯉紋花器」 ナツメ型

夫婦の努力で仕上げられたコイの打出し模様は、まるで本物のコイがそこにいるかのような出来栄えだった。
作品はいたるところで認められるようになった。のちに富山県知事賞、厚生大臣賞を受賞。二人の労作は高岡の銅器を世に広めることになった。このニッポン・ローカルショートムービー「すず」は、職人の妻として夫を支え、高岡銅器界の発展に貢献されたご夫婦に捧げる物語りでもあります。

新森春香(しゅんこう 本名: 常次郎)

明治24年6月15日(1891)高岡市中島町で鍛冶屋の4男として誕生、本名は常次郎。4才の時に父が死去し、金沢市へ養子に出る。15才の時に養子先の紹介で、東京の金工家 茂住一香工房へ入門。同門弟に田中信行(高岡市坂下町)がいた。約7年間の修行にて脂(やに)出し技法を習得し、その後、象嵌技法を独学で修得。高岡へ帰り独立して、銅器製作を開始。
50才の時に中風を患い左半身が不随となる。治療費と生活費を捻出するために中島町の家を売却し、百姓町6丁目へ、更に博労本町へと転居した。 身体障害の身でありながら一家の生計を守る思いから、春香が右手にタガネを持ち妻さきが金づちでタガネを叩くという、協同製作の方法を編み出し製作を続けた。昭和34年4月の美智子妃ご成婚に際して、記念品に鯉の花瓶200個を正田家から受注したと伝わるが、それは春香68才の頃であり、ちょうどその頃に自立更生身障者の模範として富山県知事や厚生大臣から表彰を受けている。昭和41年1月18日(1966)75才で没。

主な出品歴
年代不詳 日本金工協会主催の第4回競技会にて「銀製龍彫化粧道具」を出品、褒賞1等。平和博覧会にて金賞。

表彰歴
昭和34年5月1日 自立更生身障者として富山県知事表彰
昭和35年4月22日 自立更生身障者として厚生大臣表彰

主な作品
龍文脂出し雲盤 明治43年 新森家蔵
龍文瓶掛け 昭和27年 新森家蔵
龍文瓶掛け 宗泉寺蔵
布袋置物 新森家蔵
龍文脂出し花瓶(大・小) 昭和40年 新森家蔵
鯉文花瓶 新森家蔵
龍虎文水指 一の瀬家蔵
鯉脂出し(打ち出し)昭和34年~その後平成18年、衝立に仕立てた 新森家蔵